LGBTQ洋書読書会とか

元々は「リバティおおさかを応援する!」というブログでしたが、引っ越ししまして、最近ではLGBTQの洋書読書会やその他の情報を掲載しています。

ワークショップご報告2


議題●こどもが夢を持てる展示とは?(2/2)

・大学で教えている知り合いが授業をするときに、厳しい差別の実態だけを教えるのではなくて、実際にその厳しい中で生きているリアルな人々の存在を必ず伝えるようにしていると言っていた。何が一番子どもたちに伝わるかというと、やはりリアルな人だと思う。自分に何ができるかにつながる。
・リアルは大事。作ったって伝わらない。演出したって伝わらないと思う。リアリティをどうやって伝えるかっていうところで、無理から明るくしようっていうのがもうおかしい。暗い事実も伝わるってことは、励まされる事実も伝わると思う。毅然としてリアルに、現実を伝えてあげる、客観的事実を伝えてあげる努力はいる。
・子どもと関わる仕事をしているが、大事だと感じるのは人との出会い。客観的事実や歴史的資料や文献も大事だが、人と人が顔を合わせて会話して、そこで人の生き方とか想いを感じること、知ることが何よりも原動力になるのかなって。自分も働きながら学ばせてもらった部分。
・マイノリティや差別されている人だけの問題という特殊に考えがちだが、そういう人たちがいる社会にいて、自分がつながりがあると感じることで認識がかわるように思う。
・障害者の介護にかかわっているが、自分では何もできない人が、人と人とのつながりの中で生活をつくっていて、自分だったら自分で切り開いてやっていく、どうにかしないととかなりがちだけど、人のつながりの中で生きていく方法を目の当たりにして気が楽になったというか、勉強になった。すごく困ったときに話せる仲間がいるかどうかとかも関係してくる。
・勝ち取ってきたものをちゃんと展示することは、差別が隠蔽されず差別として訴えて来れたことなので重要だと思う。それを子どもたちが見ることで、なんらかのマイノリティ性を持つ子どもにとって、問題を真剣に考える機会になるし、差別を取り扱っていることで一緒に取り組むことにもなって勇気づけられると思う。
・どうやったら子どもたちに人権を伝えられるかは、リバティがいいお客に恵まれること。よく聞いてくれる子はどんな子か、よく感じてくれる子はどんな子なのか。上手な伝え方とセットになっている。
・学校だけでは不十分。家庭や地域や第三者機関など、子どもにいろんなことを教えたい場合、ひとつのとこだけではだめで、いろんな繋がりが機能してほしい。
・叱ることをやめる。大人が強くて子どもが弱いという力関係があるから「叱る」ということができるわけで。育てる側が強くて、育てられる側が弱いというのが教育や子育てをする人にとってアドバンテージになると勘違いしている。アドバンテージでもなんでもない。これに頼るから、本来言語で伝えるべきところを怠って、体罰になる。しっかりお話して伝えるところを、叱った時点で、怒鳴った時点で、言語によるコミュニケーションを大人は怠る。同時に子どもは言語によるコミュニケーション能力を高める機会を失う。怠けず話して伝える、そういった文化の当たり前が社会に根付くべき。言語によるコミュニケーション能力を社会全体で高める努力が必要。江戸時代はそのセオリーを日本はもっていた。まったく子どもを叱らない。子どもを中心にして大事にして育てていこうという穏やかな社会があった。
・心のゆとりがあることが大事。ゆとりがないと優しくなれない。子どもに対しても喧嘩して勝てるという余裕が逆に怒らなくていられることでもある。
・子どもにとってもこころのゆとりは大事。自分はかわいがられてるとか、大事にされてるとか感じられることで他人に優しくできる。
・橋本氏がダメだと思ったのはタレント時代の「子どもなんて所詮恐怖心でしかコントロールできない」と言ったのを聞いたとき。これはあかん!と思った。彼のやっていることは子どもに対してだけじゃなくて、政治的にも同じ。