LGBTQ洋書読書会とか

新設Cチーム企画主催者が、元々は「リバティおおさかを応援する!」というブログでやってましたが、引っ越ししまして、最近ではLGBTQの洋書読書会やその他の情報をごった煮状態で掲載していますv

ワークショップご報告4


議題●人権の展示の仕方

・朝鮮の資料などどうやって展示したらいいか。たくさんある資料が眠っているのがもったいない。もっと活用できないか。当事者や当事者団体にもっと出してほしいと言ってもらうとか。資料は真実を知ってもらうのに有効だと思う。竹島とか尖閣の問題で、国と国とが対立するという事態が発生している時に、もし過去の歴史や差別のことをきちんと知っていたらもと違った方向に行けるのではないか。「帰れ」とか言う人も、そういう資料を歴史とともに知ることで認識が変わるのではないか。
・写真や文字で効率的に説明しようとするのが逆効果になっているというか、実物の資料があるならもっと出したほうがいいと思う。真実を伝えるとか知るとかってやっぱり実物がいいと思う。壊れてたりボロボロだったり色あせてたりするかもしれないけど。質感みたいのを感じれる。
・スペースの問題もあるのだろうが、のっぺりとした展示というか、教科書が貼り付けてあるみたいで面白くない。アイヌの家の展示などがとてもいい。触れたりするのがいい。前は障害者の方の運動の映像資料があって、脳性麻痺の方なので言語障害のため、最初は何を言ってるのかわからないんだけど、ずっと聞いてたら耳がなれてなんて言ってるかわかってくるという体験をしてすごくおどろしたしよかった。本物は無理でも映像が伝えることは大きいと思う。
・今これだけいろんなテクノロジーが発達してるんだからいろんな方法での展示が検討できると思う。リバティのサイトに出せない資料の紹介をするとか、こんなの持ってますとか。考古学の分野とか、医療で最近は自分の脳の立体的な映像を見れたりするみたいに、資料を3Dでデータ化して保存したり、webで紹介したりする。大阪に見に来れない人でもネットで見れる。
・どんな資料でもそれを提供してくれた人がいると思うが、その人が知ってることって真実に近いというか物語を帯びていると思うので、例えば自分の祖父母からこういういきさつでも貰い受けてリバティに提供したとか、祖父母はどんな経歴をもっていてとか、そういう物語をいっしょに資料とセットに紹介するとか、興味深いと思う。大きな歴史の流れも必要だけど、個人的な話も聞きたい。
・皮革産業などで働いていた部落の人たちの現場の写真とか。
・動物を殺すところなんか残酷だから子どもに見せたらダメとか言う人が出てきそうだけど、そういうことこそちゃんと見るべきだと思う。現在の展示で、卵子精子が受精していのちの
大切さとか赤ちゃんが何gとかやってるけど、あんまり好きじゃない。ここでやることじゃないような気がする。自分のいのちが大事なのは当たり前の前提として、必要かもしれないけど。植物とか動物とか殺して食べてるから生きていけるわけで。かわいがって育てた牛でも殺して食べたり革でモノ作ったりして生きていくという、いのちを頂いて生きていくことを自覚する大事さというか。
・そういう大事な仕事をしてきたのにだからこそ差別されてきた歴史がある。そういう点でも伝えるべきことがある。
・体験型の展示をいっぱいやったらいいと思う。アメリカのロサンゼルスの人権博物館で友達が見たと言ってたのは、「抑圧のトンネル」といって暗いトンネルに入っていくんだって。そしたらいろんな抑圧状況が演劇的に現れてきて、教室でいじめられてるとか、酷い傷つくような言葉がブワーって壁に書いてあるとか、トンネルを進んでいくと抑圧を疑似体験できるみたいな。あと「ダイアログインザダーク」と言って、真っ暗な中を入っていって、そこでは視覚障害者の方が案内してくれる。健常者は何も見えないしどこに誰がおるかわからんからめっちゃ怖いんだけど、だんだんそこでコミュケーションとったり、音とかちょっとしたことに敏感になってきたり慣れてきて、健常者にとって新鮮で豊かな体験になるという。しんどい状況の人、ではなく、違う資源をもってる人、という捉え方でマイノリティを表現できるようになれる体験というか。「ああ、こういう世界で生きてるんや」みたいな、これは不便で不幸というか、これはこれで豊かだな、みたいな。そういう展示ができたらいいのにと思う。でもこれは人手がいる。
・リビングライブラリーも体験型。リビングライブラリーはいろんな人が本になって参加者にかりられて、自分の体験を語ったり参加者と少人数で対話ができる形式。
・マイノリティにかかわろうとしない人たちはいる。そんなのほっとけや、というかコミュニケーション取れるのに取ろうとしない。そういう人たちへの投げかけも必要。関わるきっかけがあるといい。
・用事があってよくリバティに来るので空いてる時間とかにセクシュアルマイノリティの展示の前に立って、修学旅行できた中学生とかにいきなり話しかけて説明したりすることもあるんだけど、本当は当事者と直接やり取りできるのが一番。学習の場という設定で、展示もあってというセットになってるところなので、当事者も来た人も関わりを持つハードルがとても低くなっている場所だと思う。体験とともに、生(ナマ)の大事さ。当事者団体も展示で協力して終わり、ではなく恒常的に展示やガイドなどに関わって食い込んでいくべき。もちろんガイドボランティアさんや学芸員さんが説明するのもいいんだけど。
・ロスの博物館では、「私は差別しない」という人と、「私は差別する」という人の入口が分かれてて別の扉から入るようになってて、どっちに行くか最初に考えさせるんだって。で、「差別しない」の扉は開かないの。
(爆笑)