LGBTQ洋書読書会とか

新設Cチーム企画主催者が、元々は「リバティおおさかを応援する!」というブログでやってましたが、引っ越ししまして、最近ではLGBTQの洋書読書会やその他の情報をごった煮状態で掲載していますv

ワークショップご報告5

リバティの未来を創るワークショップ

議題●●展示の内容

・子どもに夢を与えないと言われた前の展示を小さい頃にみていたが、見て辛くなったり傷つくこともあったけど、小さいながらに心に残って、その後大人になってからいろんなことに興味がでてきたりするきっかけにもなったと思う。傷つきたくないし、こういう世界を子どもは見たくないだろうけど大人になってからその体験を見直して考えられるのは大事なこと。
・倉庫にたくさん資料が眠っていると学芸員の方が言っていた、もったいない。
・教員出身で、当初の展示を解放子ども会の子たちと見に来たのが出会いで、ショックを受けたけれど、その出会いがあったからこそ今の自分があると思う。女人禁制の柱があったり、差別戒名のお墓があったり、小さいジオラマみたいな楽しく見れるのがあったり。誰を対象にするかで展示も変わると思うが、自分は小中学校の子どもを来させたい。出会いをさせたい。
・子どもがいるのだが、誕生とか命の展示は子どもたちにはとてもよいと思う。沖縄出身で在日コリアンのパートナーがいるのだが、展示がとても当たり障りのないものでショックだった。だからなんなん、みたいな。前みたいにきちんと展示してほしい。そもそも夢を与える場じゃなくて人権博物館なので。普段の生活では見ないことをここで直視するというのが大事。命からはじまって自分の人権を学んで、他の人の人権がどう扱われてきたかなどの流れで学ぶのがいい。
・教科書が貼られているという感じで、ここに来なくても知れるというか。
・展示内容を誰が決めるのか主体の問題もある。誰が責任を持ってこういう内容だったら世間に訴えられるとか、それなりの想いがあって出してるような、そういう展示が少なくなった印象。経営責任とか、誰が何のためにリバティを存続させるのか。それが展示の内容にも反映される。
・これまで積み上げてきた関係性とかつながりがあっての展示じゃなくて、さっき学芸員さんも言っていたように積み上げのない、調査不足の展示だから内容が足りないというのもある。
・人権博物館をみんなにも広めて行きたい、問題意識がある人だけじゃなくて一般にもわかりやすくせなあかんというのがあるからこうした内容の展示になるのかもだけど。しかしそれはどうなのか、当たり障りのないものになってしまう。どんな人が来てもいいものにしたら当たり障りのないものになってしまって、それは怖い。
・リニューアルしたのは二年前で、補助金もらうための生き残りのためであり、この内容は真意じゃないと思う、現実的な対応だったろう。先日の産経新聞ではリバティは補助金がないからスポンサーを募ってやっていくと。これからは拉致の問題も入れて人権問題を広く取り扱っていくというので橋本市長はそれはいいことだと。補助金は出さないけど、敷地の賃料は二年間免除すると。重要なのは、補助金が出ないからと言ってこれからリバティの展示を思うように変えられるのかというと、敷地のことがあるし気を使わないとなのか、どうなのか。
・展示については前の方がよかったのは確か。ただ、かつて70〜80年代に反差別、人権と掲げてすごくやっていた時があって、差別する人、差別される人で分断があって差別する人はごめんなさい、差別されてる人たちはお前ら知ってんのかー!みたいな、そんなことがあった。そうじゃなくて、人権というのは誰にとっても大事で、みんなの問題というコンセプトに変えていくことは必要。でも今の展示は何が言いたいのかわからない。差別は知らないことから起こることが多いから、最低限の知識提供はいると思う。
婚外子のことをやってきてここに資料提供もしたがほとんどお蔵入りのような状態。ここだからと信頼して預けますって送られた資料なのに〜・・・。
・子どもに夢を与えないと言われていたが、明るくないと夢を与えないのか。明るくないとダメなのか。明るくなくてもどこかにひっかかりを持てることが大事なのではないか。子どもから、暗くて見てしんどかったという声もあったがその時はそれで流しても、どこかにひっかかってて、その後長いあいだ時間を経てからもう一度蘇ることもあると思う。
・常設展だけではなくてゲリラコーナーを作っていけると思ったら常設にしていくとか、トライアルコーナーをいろんな風に実験して使ってみるとか。いろいろな視点を入れて。リニューアルしました、もうあと10年間ずっとこれですじゃなくて。
・前の展示は苦情が来たことがあると思う。こんなん出してええんか差別やでって、そうや差別やでってわかるための博物館だったところが、今の展示では苦情もこないだろう。
・一角だけでもそういった部分が出せるところをつくる、トゲというか。ひっかかるための。
・たまにやる特別展とかそういうのともちょっと違った、当事者性の発信というか。
・リニューアル後の展示は今の大阪の取り組みや未来へのことが多い。歴史がない。蓄積されている歴史が見えない。地域に根ざしている問題もあるので地域性を出すとか、当事者性をだすとかもっと「大阪観」を出していくのがいいのではないか。今の展示は歴史が抜け落ちている。
・小さい子がここを見てまわって何を学んだらいいのかわからない。人権ってとっつきにくいイメージ。ここではこういうことを学びますということを最初にもっと具体的に出してもらいたい。生命の多様性とかザックリこられるとよくわからない。こういうことを伝えたいんだ、大阪ではこういう人権問題があるんだっていうのを明確に。身近に感じるために。
・生物の多様性から企業の取り組みまで幅広すぎてどうなのか。
・昔は部落問題からはじまって、在日、アイヌ、障害者など個別にあげてて展示を見たらはっきりとこういう問題があるんだってわかった。今の展示は在日とかあっても、差別っていうのがはっきりわかるのは部落問題ぐらい。コリアンタウンが昔どうだったとか文化みたいになってて、強制連行とか創氏改名はボランティアガイドさんに説明してもらわないとわからないみたいな。
・そうせざるを得なかったのだろう。30年前部落問題からはじまって、その後社会からの要望もあっていろんな差別問題を入れていったけど、今度はぽんっとすべて飛び超えてしまって、なんなのみたいな内容になってしまって。
・すべてをここでやらんでも、ここできっかけを作ってそこから自分で深めていく。
・教科書もどんどん検定で変えられて行っている。
・先生に差別はいけませんって言われても、ちょっと要領のいい子は、はいそうですねって言って終わり。そうじゃないものを子どもに残したい。未来のことでもいつもいつもバラ色でなくてもちょっとグレーでも茶色でもいいのではないか。差別はいけません、はいそうですね、明るい未来、つって話が済むんかって問題で。ここで刺さったトゲがその子の20年後に違う形で行動に移せる何かになるかもしれんし。
・自分が若い頃に部落問題に出会ったことで幸せを感じてた、ある意味それは夢に繋がってると思うんだけど、自分がどう生きて行こう?っていうことに繋がってるから。やっぱりそのことに出会うことで、人とつながって生きていくことが大事なんやなって、めっちゃ幸せやん、って。みんながみんなそうじゃないけど、それはリバティによって、展示によって得られたものであって、決して暗いとか夢がないとかじゃない。
・行政の要望を飲むことによってここの展示の軸が揺らいてしまっていると思う。展示を見ただけでもバラバラで統一感がないし。圧力がかからない状態になったほうがいいと思う。子どもたちに伝えるなら、これが正しいとバンと出してしまうのではなくて、問いかける感じ、こういう状況ってどうだろうね?って自分で考えるような、自分で生み出すきっかけになるような、展示がいいんじゃないか。命の展示でも音とか感覚とか、今どれだけ大事なことを学んでいるかわからないかもしれないけど、思い出せるような後に残るだけでも意味がある。
・お金に縛られないことも大事だが、本当はちゃんと行政がやるべき。市長はこれは優先課題じゃないと言うけれど人権が優先するような行政になってほしい。
大阪府や市の行政の人たちはリバティを大事だと思ってるんだけど、あの市長だけが個人的な気持ちで。だから市長が変わればまた変わるのでは。それと思想的に自虐的だとかもっと日本人としてとか言うてるし。一番興味があるのは補助金がなくなったら、気にせずにやっていけるのかどうかっていうところ。
・何を持って偏ってると判断するのか。誰が判断するのか。そもそも行政はそういうことに干渉していいものなのか。
・教員だが教育はめちゃくちゃになってる。教育委員会があっても全部俺がやると言い出している。
・みんなが僕を選んだからという理屈をいつも言うけれど、そうなると多数決でここはいらないということにもなる。人権とか差別とかを考える時に差別してる大多数の声を聞いていたら成り立たない。人が来てないから儲からないからいらない施設だろうって、大事なのはそこじゃない。
・彼は多数派の意見を言ってくるけど、私たちが考えていかないといけないのは少数派の意見だったりしんどい人のことだったりだし、本当にひとりひとりが自分の想いを言えてるかどうかってところにきちっと疑問を持たないと。そういう意見を吸い上げていかないと。
・お金が集まらない儲からない構造になってる。だから自分たちでやるという決意をこめた展示にしていかないと。行政をあてにして運動していっているところはみんな潰されて行っているから。
・今大阪府も市も今日委員会は日の丸君が代で全然戦えない状況。
・リバティができた頃は同和対策事業特別措置法というお金の措置があった。2002年に切れてから同和関係の不祥事がたくさん出て、同和ってお金もらって好きなことしてるみたいな見られ方になって橋本氏はそういう流れに乗っかってやってるのもある。人権とかって儲かるものじゃないんだから本当は行政がすべき。
・やはりゲリラコーナーを作って市民が声を上げるためですと言ってやっていこう。
・市民が自ら声をあげれる場所を作っていく、それは本来は行政としては喜ばなあかんところやで。行政としても是非やってほしいことって言える行政であれ。
・変に明るい未来があるよみたいな、目の前ににんじんぶら下げるみたいなのってズルくない?
・頑張らなかったらこんなことになりますよ、って言ってるわけじゃ全然なくって、こんな構造あるのがおかしいですよね?ってことを気づいてもらえるように。
・こういうことに出会って、今の自分の立ち位置はどこにいるのだろう?とか、いろんなものに出会うことによってもう一回自分に帰ってくるような、そういう感覚が持てる場。
・小学校でも大学でも興味を持った時に来たら、こういうことだったんだって歴史とか背景とか知ることができる場であってほしい。
・前の展示を見たことがないが話を聞いている限り戻した方がいいと思うが心理的なショックが大きいのはよくないので、見せ方を工夫して、明るい未来についても差別がある現状を変えていきましょうという風にできると思う。暗いことをみんなに認識させるのではなく、これから明るい未来を作っていくという見せ方にして、リバティの存在意義をアピールする。
・戦争とか原爆とかの写真は怖いかもしれないけど、部落差別のことは運動によってとても改善してきたことでもあるから、これだけよくなってきたということを知らせることは明るいことだと思う。在日のことも強制連行や創氏改名など悲惨なことはあったけど、最近日韓ワールドカップとかやったし一緒にやっていこうとしているとこまで来たというのもある。そういう歴史を並べていくことで未来への展望にもなる。
・ここがなくなってしまったら、本当は差別はあるのに、ないものにされてしまう怖さがある。こうしてちゃんと伝えようとしないと、みんな見たくないものは見ようとしないし、あえて声あげないというのもあるから、それが怖い。