セッション記録
GIDという言葉はほぼ使われていない。トランスジェンダーかジェンダーバリアントが支流。カウンセリング、ホルモン、SRSの3つのセット治療法も古い。今はそれぞれの事情に合わせて臨機応変に使うのが主流になってきているようす。
New Frontiers for Transgender Youth— Rob Garofalo, Anne Lou de Vries
●ニューフロンティアトランス(オランダ、アムステルダム)
・プログラムの歴史。1990年から16-18歳に対する対応を調査、検討し、ホルモン治療をOKに。2000年から12-16歳に対してホルモンブロックをOKに。このように若いころから準備をしているとやはりSRSがうまくいくし効果がよくでる。満足度も高いらしい。
・6か月カウンセリングの後、ホルモンブロックあるいはホルモン療法。ホルモンブロックは可逆だがホルモン療法は不可逆な部分も。
・18歳以降はSRSに向けて準備。
・12歳以下の場合、そのうち80%がゲイレズビアンになり、20%がトランスとなる追跡調査結果。なので若年の場合、トランスになるかは慎重に見極める必要がある。
・思春期をすぎて性別違和を訴える場合はほぼ100%がトランスとなる。
・12歳からの診断基準。長期にわたる性別違和、家族の理解、治療の理解など。他にもあったけどメモできず。子供なので理解が不十分な可能性があるので家族の理解とともにインフォームドコンセントの必要がある。
・なぜ12歳からかというと、他の医療でも自己決定を認められる年齢が12歳だから。
・トランスの子どもの特徴としては、①長期の性別違和がある、②SRSへの強い願望がある、③自分の体の成長による変化に恐怖を感じている。
・トランスの子どもたちの直面することとしては、小学校では好きな性別で過ごせていても中学校に上がるときに学校がそれを問題にすることがある。SRSに対するアンビバレントな感情がある。SRSについてあとで気がかわることもある。
・治療はチームで行われる。心理学者、精神科医、ソーシャルワーカー的な人とか。
・診断→3か月間で身体の調査、心理テスト。18歳でSRSの診断が可能。
・7-8歳以下までの来院だとトランスではない可能性が高いが12歳以降の場合は確率が高くSRSの確率も高い。
・MtFの小学生のドキュメンタリー。「I am a girl」すっげ綺麗かわいい。友達ともいい関係。好きな男の子がいる。
・オランダだから受け入れの寛容度がとても高い。
・小学校でトランスしててもそのまま中学で受け入れてもらえるのか?→小学校でトランスできている時点で周囲の環境が整っていてサポートされてるので受け入れられやすい。拒絶されたり嫌がらせのある学校だったら転校するようにアドバイスする。
・親のグループ、こどものトランスのグループなど当事者サポートが充実している。
・移民などの子どもは少ない。サポートや情報が届いていない可能性がある。
・12歳~ぐらいの子どもでFtMの場合、胸が大きくなってきた時にどうするか?→ナベシャツを着るようにすすめる。
・子供は夢見がちだけれど、現実をちゃんと見てもらうようにこれからのことを具体的に説明する。SRSをやっても完璧じゃないということを理解して大人になってもらう。
●移民、有色人種のトランスジェンダーユースのサポート
・先のレポートは楽観的だったけどこのレポートは逆のことを言うことになる。
・この会場は白人ばっかりだけど、自分たちがサポートしているのは黒人や移民、有色人種。
・自分もゲイとして家族に理解を得られない状態で居た時は、(有名な活動家?アーティスト?の)MtFの人に勇気づけられた。「A tale of cities」(映画?)
・自分たちの団体ではコミットメント、研究、調査、臨床を行っている。
・20-25%が25歳になるまでにHIVに感染するという現実がある。アメリカではHIV関係の対策に予算がたくさんさかれているが有色人種などの場合、情報やサポートが行き届いていないということがわかる。
・自分たちからするとホルモンをするかどうかというのは簡単な問題。それよりもホルモンをするかどうか、そこに至れるかどうかが大変な作業で地獄のさただった。また、ここ5-10年の間で臨床医がトランスのことに関心を持つようになったことで状況がすごく変わった。
・MtFのケーシーの例。(トランスユース。)ネットで知り合ったという43歳の男性とかけおちして都市に出てきて、その三か月後その家を追い出され、その二か月後シェルターに入るが生きていくためにセックスワークをすると言い始め、その三か月後、もっと稼ぐためにゴムなしでやるつもりだと言って、その四か月後、HIVポジティブになっていた。このすごい展開の速さ。勉強ができてスカラシップももらっていた子だったのに。
・このような展開に陥るユースの特徴はソーシャルサービスから遠いということ。トランスであることで、貧困、心理的ストレス、うつ、自尊感情の低さ、薬物使用(麻薬も、ホルモン注射も、シリコンなども含めて。)セックスワークという展開になりがち。
・「トランスジェンダー、レズビアン、ゲイの健康」(全編のダウンロード可能な本)
・今までの調査などの欠点は、FtMの研究がなされてないこと、予防疫学が主眼であること、長期的研究がないこと(その後どうなってるのかわからない。)
・これからの調査に求められる視点は、マイノリティ分野、国際的、人口学的、ヘルスニーズとケア、介入の効果評価など。
・これまでHIV系の調査をするときにコミュニティのニーズとのずれを感じてフラストレーションを感じていた。今後は調査報告書を造ることで法律制度化などコミュニティが必要としているものをつくるための基盤として使ってもらえるようなものを提供したい。実際に自分たちの報告書がきっかけで行政が提言を出した。
・トランスのケアモデル
行動学的アセスメント・教育的治療的エンゲージメント・リアルライフテストの重要性・ホルモンセラピー・ホルモンブロッカー・SRSおよびフォローアップ・長期的問題・骨密度・ワクチンを受けられる体かどうか・トランジションが体にどう影響を与えうるのか。
●サザンカンフォートの豪華ランチに参加
全米最大のトランスのお祭り。今回は900人の参加がありそのうち350人が初参加だったとのこと。TV系の人たちが主流な感じ。
・全米各地で脱毛の開業をしている人たちのくじ引きゲーム。同じテーブルの人が当たってた!
・宝くじ的なものを買うようにインフォメーションがあった。当たった人は半額もらえて来年のサザンカンフォートの参加が無料だとか。
・ゲイの法律家の人の話
ひとりのMtFの人のことが忘れられない。彼女はとても優秀な証券マンだったがトランスしたことによって文字通りすべてを失った。3年間完全に孤独してしまっていた。自分たちは全米どこへでもかけつけて力になるつもりだ。ハラスメント、暴力、雇用、IDの性別変更、保険などトランスの問題の力になる。
・主催のMtFの人の話
私たちは孤独ではない。もし孤独な人がいたらその人を探し出して家族になろう。コミュニティに出会えたことが希望だ。
・スタンダードオブケア第7版の改定について委員から話
私は元WPATHの会長だったがその頃からパラダイムシフトしたかった。まだこれから不十分な部分が改定されるとしても、この数年検討し議論を重ねてきた努力の結晶だと思う。新版は月曜日9/26にウェブにUPされることになっている。GIDという名前はもう使わない。どんなケアでも、どんな存在であっても、尊厳をもって提供されるべきであり、どんな属性かは関係ない。目的は変わってはいない。文言が変わったことは注目すべきだ。改定まで4年をかけて丁寧に議論されてきた。34人の多国籍な委員によって議論されており、欧米、北米中心主義にならないように配慮してきた。とはいえ、考え方や基盤が欧米であるのは確かだが、どんな文化であっても適用できるようにしている。ページ数が31ページから122ページとなって、そのうち22ページは参考文献の紹介となっている。
包括的な内容になっていて、それはホルモン治療やSRSにとどまらない。GD=精神疾患として生涯にわたる疾患ではない。GN=先天的ではなく社会に寄るもの。専門家はトランスの人々が様々なジェンダーアイデンティティを表現、実現できるように助けるのが仕事である。患者が希望することに専門家が許可を出すのではなく。
アドボカシー、偏見差別、スティグマの排除が明確に書かれている。
それぞれの人に固有の状況があるので、それでもいいのだと読めるように高い柔軟性をもって書かれている。
インフォームドコンセントの神話を助長しないような注意、コメント。
ホルモン治療の前にそれらによる変化やリスクなどの情報をもっているべき。インフォームドコンセントが必要であること、オプションを理解してからの判断。
心理療法は必ずしも必要ではない。専門家がするべきことが明記されていて、本人以外、周囲の環境についても書かれている。専門家の資格化や修士号取得以上を推奨するなど。
これまでの、精神療法、ホルモン治療、SRSの3セット療法については言及しておらず、ヘルスケアは多様であるという言い方に変わっている。ホリスティックケア(包括的)に変わってきている。
TGジャーナルに掲載されてたくさんの意見が寄せられることになるだろう。それがさらに改善された第8版となることを期待する。
・副読本がついている。コミュニケーション、心理療法、社会的。。。について。
・大改訂した部分は、MtFの膣オペに診断書が2つ必要だったが、1つになった。性腺摘出について2つの診断書がいるのは変わらない。
・1979?年、治療が医学的に必要であることを社会に広めるには大変だった。
・あらゆるしばりをとっぱらってしまえばいいという意見もあるが、現実的にはそうはいかないし、法律家の人にがんばってもらわないといけない部分もある。
・思春期以降の子どものケアについては、ホルモンブロックもSRSも年齢制限をもうけるというよりかは、個人の身体の成熟度をかんがみて対応するように変更。
・医者は何もしないのが中立的でいいことではけっしてなく、適切なケアをするべき。
アトランタ (WPATH)2日目(2011/9/24)
昨日から新作のDVDを今夜の映画祭で上映してもらえないか、Hさんに主催者に交渉を試みてもらっていた。ホテルの部屋にメモを残してもらったり電話したり。それが今朝になって電話があり、見てから上映できるか決めますということでDVDをわたしにロビーにでる。朝ごはんは立食形式のバイキングでおいしい。ただで持っていき放題のジュースや水。さすが太っ腹。
午前中、特別ワークショップに少し出る。その後サザンカンフォートの会場のコラボ講演を聞くためにみんなでタクシーで出るが運転手がまずくて1時間近くかかってしまった。使わなくていい高速とかに乗りやがってまじむかつく!
タクシーメーターは58ドルを表示しているが、Hさんが20$で片を付けてくれた!!!すごい!!すごいよ!
さすがサザンカンフォート、お祭りって感じ。
すごいホテル貸し切ってるの。
トランスの中でもTV(トランスベスタイト:異性装/普段は元の性別で暮らしてる人が多い。)系の人たちが多く参加している。
TVな人たちの重量感、濃さがはんぱねえ!!西洋人とにかく縦も横もでかいよ!今年は21年目だそうで、記念のことをやっているっぽい。これまでの開催してきたポスター一覧。
FtMと女子の脳の機能の差についての講演を聞くが通訳がないので意味がわからない。Hさんが交渉してサザンカンフォートの豪華ランチにどさくさに紛れて入る。めちゃうまなチキンカツとそうめんパスタ。
サザンカンフォートの人たちのアピールや短いプレゼンの後、スタンダードケア7版のことについての講演を聞いた。その後、喫煙コーナーでひとしきり日本のGIDについてHさんと語らって、日本からの数少ない参加者のM先生といっしょにタクシーでエモリーに戻るがインド人嘘つかないみたいな運転手がメータースイッチ入れてなくてまたひともんちゃく。(ほんとに「インド人嘘つかない」って言ってました!)タクシーで映画の上映可能の連絡が入ったのであいさつ文を考えてHさんにあいさつ文を英訳してもらった。
Hello, My name is Tsukumo. I am a transgender film director. I would like to thank JAE to allow me to introduce my latest pilot film at this festival. This film is about elementary school kids meeting LGBT. I made this with a hope that it would serve as education material. It’s still working on in, but I hope you’ll enjoy it.
ホテルで同室Mさんは大学院生で、今回の発表はスポーツとトランス。
最近オリンピックの委員会がトランスについて、オペとホルモンしてたら望みの性別での出場を許可したという経緯があるんだけど、日本ではどうなのかとか、アメリカでどんなプロのスポーツ選手(トランスの)がいてその状況は、みたいな話だったんだけどやっぱり英語が意味わかんないのでちゃん理解できず。その後Hさんは学生時代の同級生の家へ行くのでそれぞれ行動。
キャッシュバーにパソコンを持って行って、歓談している人たちに声をかけ、5分の映像を見てもらったらとても好評で、それくれと言われた。名刺を配って、本編が12月にできあがったら郵送すると言ってみた。自分の片言英語でも相手にしてもらえるとうれしい。FtMの人と少し話して、甥と姪がいるけど、家族と仲が良くないので彼らに自分のことは言えないと言ってた。イケレズのように見えるFtXな白人の人とも少し話した。こういう取り組みは重要だと言ってもらえた。その人たちに7時からの映画祭で長い方の映像が流れることを宣伝しておいた。
地下の会場で7:00-11:30で映画祭。シアター風の部屋なので部屋の入口にポップコーンの機械が。もちろんフリーなので好きに食べられる。
最後から二番目に上映してもらえた。ジェンダースペクトラムという団体が学校に啓発活動をしてて、その映像がたくさん流れてよさそうだった。体系的にしっかりした学校介入をしているようす。学びたい。
隣に座ったカナダから来たというおばちゃんが話しかけてくれたので少し話す。自分の映画がこのあと流れることと、自分の自己紹介を少し。でもおばちゃんがどんな人なのか聞くことはできなかった。残念。
自分の番になるとあがってしまって、片言英語に拍車がかかって困った。でも映画祭の主催者のジャエさんに手ぬぐいをプレゼントできた。10時近くなっていたのでけっこう人が帰ってしまって20人ぐらいだったけど興味津々な感じで見てもらえてよかった。
ついでにカムアウトの5分の方も見てもらえた。映画は途切れなく長し続ける形式だったので、質疑の時間はなかったのが残念だった。ジャエさんと記念撮影。
11:30、Hさんが帰ってきてて同級生の話をしてくれた。すごいセレブだったらしい。
シャワーして寝る2時前ぐらい。
アトランタ (WPATH)1日目(2011/9/23 )
朝4時に起きてシャワーをあびて空港へ。8時半の成田行き。空港でチェックインすると3回乗る飛行機のうち2個は窓際がとれた。窓際大好き。しばらくすると今回の旅で私がくっついてまわるHさんとばったり会って共にゲートへ。今回はノートパソコンを持っていくので搭乗時の検査の時にいちいちかばんから出さないといけないんがめんどうだ。重いし。そしてパソコンのカバンをけっこうこの一か月捜し歩いていたんだけど、いいのが見つからず、値段とか耐久性とか、角ぶつけたら心配なカバンが多くて考えあぐねていたんだけど、結局自分で作った。百均のA4サイズのふわふわの袋とコーナンの養生クッション(最強)を組み合わせたもので角が当たっても全くへっちゃら!な出来です。なかなかよい。合計345円。
成田へは1時間。そういえばはじめて国内線に乗った。成田からシカゴまで11時間弱。さらにシカゴからアトランタまで一時間ちょい。
映画とかは見ないで、あっちで見てもらう新作の映像のスクリプト(この旅行のために恋人が速攻で翻訳してくれた)を読んだり、地球の歩き方を読んだり、寝たり。11時間とかあっという間だよね。途中で見た朝焼けが超綺麗で感動した。
隣に座った母息子家族はどうやらちょっとええとこの人らしく、海外旅行慣れしている親子で、今回はシカゴにすむ双子の息子の弟の方にふたりで会いに行くとかで、乗っている兄の方はパソコンで次回出版するという本の校正をしていた。私ぐらいか私よりちょっと若いぐらいのイケメンであった。
シカゴについたらけっこう時間がなくてすぐにゲートに行かなきゃなんだけどいったん荷物を受け取って入国審査をしてまた荷物を預けてアトランタ行に乗る。入国審査の時のおっさんがめっちゃ早口で話しかけてくるのでネイティブ並みの英語人の友人も早口すぎるわおっさん!とか言っていた。何しに来たのとか聞かれて友人がカンファレンスがあってと言うと、ほんとに?バカンスみたいなかっこうじゃん、とかいろいろ会話してたらしい。おっさんしゃべりすぎらしい。私はまったく聞き取れず!入国審査ではアメリカならではなのか、5本指をスキャンしてその場で顔写真を撮った。
入国検査を終えて荷物身体検査のとこにいくと、普通のゲートじゃなくてたまにランダムに身体検査をさせられる人いるやん、それにあたってしまってお前あっち通れみたいに言われたので何か透視してるような箱の前に立たされたあと、触って検査する場面になると、なんかもたもたしてるから先に出てた友人に「なになに?」と聞くと友人が空港職員の人に聞いてくれたら職員が「ええ?!」となって男子職員ではなく女子職員がやってきて私の体をとまどいつつ検査した。どうやら男に見えたらしく、男子職員が検査しようとしてたんだけど友人が私のことをHERと言ったので、じゃ女子が検査しないと、となったらしいけど、女子職員は男子職員とめくばせしながら「へえ、なるほどね(これで元女子なのねえ)」という風な。でもさ、私のカバン調べてコンタクトの液があったから次回はちゃんとカバンから出してね、と言ってきた空港職員めっちゃFtMじゃん!!!FtMじゃないかもしんないけど、めっちゃボーイッシュなレズタチじゃん!!と思いました。
今回は私は嫌がらせとか受けなかったけど、こういう時に嫌な目にあったり、別のところに移されて必要以上の嫌がらせを受けることがあるらしい。トランスの友達も言ってた。興味深い体験でした。男性ホルモンを打って11か月になるけれど、自分がどれだけパスがしてるかわかんないからこういう時微妙よね。
シカゴの空港で見ただいぶ創作されたSUSHI。
シカゴからアトランタまで1時間ぐらい。小さい飛行機でけっこう揺れた。アトランタにつくと荷物が流れてくるところがわかりにくくって手まどう。空港からホテルまで地下鉄とバスで行くかと思ってたんだけど友人の荷物が大きかった(巨大、私の二倍ぐらい)のでタクシーにすることに。そいでタクシー乗り場にやっとたどり着くと乗合タクシーがふつうのタクシーより安いらしいので乗合にすると、これがまた待たされること!けっきょく40分ぐらい出ないので普通のタクシーにした。アトランタはアメリカ南部なので黒人率が高いとのことだけど、確かに言われてみたら黒人の人多い。
ホテルにつくと大きめのツインと言われてたけどけっこう小さいやん。バスルームも小さいし、なによ、アメリカンサイズ期待してたのに。この2人部屋を3人でシェアするのです。
テレビをつけたらエレンをやってて友達がアメリカで一番有名で成功したレズビアンだと解説してくれた。すげーかっこいいレズタチだね。アメリカでは日本とは逆で、オネエキャラはほとんどいなくて、売れないそうです。その代りブッチなレズビアンがポピュラーらしい。LGBTの中でも大衆がぎょっとしないタイプの部分が出てくるようす。日本のテレビ界ではおもしろおかしさが必要とされるのでオカマキャラになるのでしょうなあ。
バス停にエレンの巨大なポスターを発見。かっけー!
私たちのホテルのすぐ後ろの大きなホテルが今回の学会の会場なので受け付けをすませに行く。いろんな人種のスタッフがいるんだけどアジア系の人にやはり安心感というか親近感を覚えてしまうね。受け付けのあとは特にイベントはないので、シャワーあびて夕飯へ。南部の家庭料理で有名なお店に行ってきました。
しかし、すごい混んでたので近くにあったドーナツ屋であしたの朝飯を買う。
最近日本にも進出したという、例のクリスピー・クリーム・ドーナツですよ!おいしそうなドーナツが陳列されている隣は、ドーナツ工場が見えるようになっていて、ずんずんドーナツがベルトコンベアに並んで流れてきておりました。にしき堂のもみじ饅頭を思い出した。あそこも作ってるとこ見えるのよね。
地球の歩き方に書いてあったフライドチキンとか野菜の煮物とかを注文。グリーントマトの串カツみたいのがへえーって感じでした。
アトランタの名産物はチキンだそうで、さすがに肉がふわふわでジューシーでおいしかったー。サラダが驚愕の小ささでがっかりでした。アメリカンサイズを期待してたんだけど、日本のファミレスより一回り小さいぐらいのサイズ。
名物のピーチパイも。これもサラダみたいに小さくて、まあ、食べきりサイズでよかった。
ホテルに一緒に泊まるもうひとりの友人は入国審査で待たされてなんとフライトを逃したのだとか!そんなことって!ひどい!深夜につくということで到着をまった。にしても12時間の時差ぼけでつらくて1時半ぐらいには寝た。
アトランタWPATHに行ってきました。2011年9月24~28日
2011年9月24~28日にかけてアメリカのアトランタで開催された、World Professional Association for Transgender Health (WPATH)(トランスジェンダーの健康についての専門家協議会、ダブルパス)に行ってきました。各国からトランスジェンダーについて活動している専門家、当事者が参加しています。今回のテーマは、Transgender Beyond Disorder:Identity, Community, and Healthです。Emory Conference Center(エモリーカンファレンスセンター)という学会などを開くためのホテルと会議場が一体化した大きな施設でした。私たちはその施設の一角にあるホテルに泊まりました。この会議とともに開催されたthe Southern Comfort(サザンカンフォート)は全米のトランスジェンダーが集まるお祭りです。あの映画「ロバートイーズ」がサザンカンフォートに参加するのを励みにがんの闘病をしていたアレです。このサザンカンフォートの参加者は900人超え、WPATHの参加者はたぶん300人超え、また一緒にコラボレーションしたGLMA(Gay and Lesbian Medical Association)という組織もあったのでたくさんの人たちがアトランタに集まっていたようです。
今回のこの会議の目玉はなんといっても、性同一性障害(GID:Gender Identity Disorder)という言葉を撤廃したことです。それに代わってGD(Gender Dysphoria:ジェンダーディスホリア:性別違和)という言葉に統一しています。このことで日本のGID業界はまたすごい混乱に陥ること間違いなし!笑。この大改訂にもかかわらず、日本からは7人しか来ていないので、トランスの国際世論(とはいえ白人中心主義だけど)からはどんどん遅れを取っていくと思われます。どうせなら中途半端に医学概念なんか取り入れずにタイとかみたいに文化慣習で貫けたらよかったかもねー。とか言っても他の分野の欧米化が激しいのでそこだけアジアぶっても無理か。
WPATHのサイトからスタンダードオブケア第7版がダウンロードできます。
http://
まあ、旅のまとめとしては人間は本当に多様(今回は特に人種、体系、言語が印象的でした)だってことと、英語ができた方がいいってことと、コミュニティでできることってまだまだあるってことかな。(ざっくりまとめすぎ。)
●以後の日記を読むための基本的な用語説明
・トランスジェンダー(性別を変えて生きる人たち)
・FtM(女→男)
・MtF(男→女)
・トランスユース(トランスの若者)
・トランスする(性別を変える)
・トランジション(性別を変える作業)
・SRS(性別適合手術、昔で言う性転換手術)
・3点セット治療(トランスジェンダーが性別を変えるために踏む3つの治療ステップで、カウンセリング、ホルモン療法、SRSのこと。ちなみにもうこの3点セットは古い概念で、個人の状況に合わせてランダムに組み合わせて適用するようになっています。)
・LGBT(レズビアン、ゲイ、バイセクシュアル、トランスジェンダー)
「No LGBT History, No Equality」
ワシントンDCマタシン・ソサエティ制作のビデオ
「No LGBT History, No Equality」
(あなただけを、ハリウッドの丘の上である秘密のスペシャル・
(招待客リストなんて存在しません。「
ハリウッドの丘の上にある邸宅のドアのベルを鳴らして中に入ると
(音楽:ローマの春 著作権の許可を得て使用しています)
(この動画を撮った人は)きっと確信があったんですね。
(ワシントンDCマタシン・ソサエティ会長 チャールズ・フランシスさん)
彼らの日常生活は、過酷なものだった。だって、
(性倒錯者の新しい治療法見つかる、の新聞記事)
犯罪者であるだけでなく、彼らは「気狂い」
だから、このハリウッドの丘の上の邸宅であるパーティだけが、
こういう時代があったということを、
(V.L.コックスさん ニューヨーク在住のアーティスト・アクティビスト)
レズビアンやゲイの人たちの歴史を、
(ホワイトハウスのゲイ迫害の史実を暴く記事)
なぜかというと、私たちの過去や歴史は、
(プライドマーチの企画をしている証拠写真)
その影のような昔にあった出来事や事実を、
(チャールズさん)
(プラカードで「社会制度による同性愛者の迫害をやめろ」「
もう私たちの存在や過去の事実を、
(コックスさん)
今この国では、私たちの過去と現在の存在をかき消して、
(より多くの同性愛者を異性愛に転向させるべきだ、
だからこそ、いまを生きる私たちが、
(本「同性愛者治療のための行動療法」)
(チャールズさん)
自分が過去から繋がった存在として、
歴史を獲得せずして、平等を獲得することはできないのです。No History, No Equality.
(きんじさんが訳してくれました。)
マーク・トンプソンが語るロサンゼルス・クイアヒストリーの断片
マーク・トンプソンが語るロサンゼルス・クイアヒストリーの断片
「ハリー・ヘイさんとマタシン・ソサエティ」
この階段を上ったところに家があって、
(1969年ニューヨークで起こった)
(きんじさんが訳してくれました。)
抑圧と解放のサイクル;人種平等のためのワークショップ
Creating Change 2018という全米最大のLGBTQの大会に参加した報告。大会は5日間にわたり200以上のワークショップ(WS)が開かれ5000人以上が参加するらしい。
印象としては白人と黒人、ラテン系が多くアジア人が少ない。通訳にスペイン語がついているぐらいラテン人口が高いようだ。手話通訳もついている。残念なことに今年はDSDs(身体の性の多様な発達・インターセックスと呼ばれていたテーマ)のWSがひとつもない!大会との間に何かあったんだろうか。分科会をするのにもお金を払わないといけないシステムに反感を持っている関係者も少なくはないだろうと想像する。
西洋式授業では当たり前なんだろうが、人数が多くてもファシリの質問にその場で大声で答えたり、マイクをもらいたいという手がたくさんあがったり、日本ではまず起きなさそうなことが起きている。WSの手法として参加者の声をどんどん拾うことがメインになっていて、まさに参加型、対話を作ることで、内容を構築していくのでとても手ごたえを感じる。
1/24(水)抑圧と解放のサイクル;人種平等のためのワークショップ
このWSは一日がかりで、9時から17時までみっちり。800人の参加者が午前中前半はひとつの大きな会場で、後半は有色人種で初参加者、二回目以降、白人で初参加者、二回目以降の4つの分科会に分かれてワーク。午後は8つの分科会に分かれての人種差別をなくすための様々なアプローチでのワークショップ(WS)。最後に全体でまた集まりまとめをして終了。基本的にどれも、ペア、グループワークから全体での分かち合い、まとめという流れ。
9時から10時半までの最初のオープニングでは、CCのスタッフが軽く自己紹介を回していて、名前、第三人称、人種アイデンティティの三つを上げていた。
いくつかのお題が与えられてペアになって5分会話をするというのが3回程度繰り返された。お題は「なぜこのWSに参加したか」「何を期待しているか」「人種の話をする時にどんな気持ちになるか」「どんなことをすれば人種差別をなくせると思うか」などなど。
またWSに参加する態度についてもしっかりと項目があり説明された。例えば「(ケータイとかいじらないで)参加に集中すること」「正直な自分でいること」「沈黙を大事にすること」「リスクを取ること」「対話が深い理解と受容を導くことを信じること」「自分のトリガーに気づきそれを扱うこと」などなど。
最後に「人種差別」「内的支配/内的抑圧」「白人特権」「白人至上主義」などについての用語を確認する対話。
ファシリが何事にも練習が必要。人種差別についての対話でだれもが失敗を経験するのは、練習せずに本番をしようとするからだ、今日は失敗することを恐れずに練習の場として活用し、本番は自分のコミュニティに帰ってから実践していってほしいと言っていたのが説得力があった。
10時半すぎから12時半まで二つ目の分科会。私は二年目なので有色人種で二回目以降の分科会に参加した。(去年財布を無くした時に助けてくれたJasonがいてお礼を再度言えた。)
最初に、このWSはコミュニティ作りの作業でもあり、自分の深い部分を出したり共有する過程でもあるので、それをしやすくするように、近くの人とハグなどをして親しみを深めてと言われて、アメリカ的だなーと思いつつ隣の黒人の人と軽くハグをした。周囲の人はハグしまくっているがあまり乗れず。
ファシリが「解放」という言葉から何を想起するか、浮かんだ言葉を言ってくださいと参加者に促すと、自由、弱さ、などいろいろな言葉が会場からあがった。続いて「トラウマ」からは何を想起するかという問いかけに、傷口を開ける、過去、など参加者が口々に思い思いの言葉を言っていた。
最初のペアでは、どうして大会に参加しているか、人種差別を話す時のこれまでの体験などを話した。ペアになった人は、教会での人種差別の対話は難しいし、LGBTQであることも別の次元で差別があるので、問題は複雑と言っていた。
次は、ファシリが取り組みを続けていくサイクルをどうやって形成していくかということで図を出して説明。サイクルに関連して、ファシリから体験が語られた。「黒人だが、親から近所の黒人家族とは家は違うんだ、ああならないようにしないといけないなど、黒人差別を内面化させられてきて、それを克服するのにとても時間がかかった。」(女性のクィア自認のアフリカ系アメリカ人で)「自分が話してる途中で白人男性が話をさえぎって意見を述べてきて、そそれを指摘したが、自分は正しい指摘をしたのに罪悪感を感じることがあり、自分の中に染み込んでいる従属性に気づいた。」など。
それぞれの段階を具体的な内容は壁に貼り付けてある。壁のポスターに参加者にシールを貼っていくように指示がでた。緑はだいたいできていること、黄色はまだ取り組みを続けていること、オレンジは取り組むのが難しくて助けが必要だと感じていること、だ。
参加者(100人ぐらい)がだいたい全部まわってシールを貼ってまわった後、グループに分かれてどれに貼ったかそれぞれ発言していった。黒人の大学教授の人が、自分のメンテをしっかりしない限りは戦えないし、他人を助けられないし、白人と対等にやりあえる自信のある態度を保てないから、セルフケアに気を付けているとか、中東系の人が白人が大多数の場では自分の意見は取り込んでもらえないと感じるし、自分が有色人種を代表してしまうような気がして意見を言うのに気が引けるとか言っていた。
全体の分かち合いでは、戦いばかりでセルフケアがおろそかになっているという意見もあり、ファシリも強調して、セルフケアの重要性を主張していたのが印象的。最後にファシリが「今日出会った人たちと連絡先を交換して下さい。ここからネットワークを始めて自分たちのリソースを作っていってください。」と参加者のコネクション作りを促していた。なるほど。
昼休憩をはさみ、14時から16時半まで三つ目の分科会。ここでは去年から参加してみたかった白人向けの具体的に内省していく分科会に参加。60人ぐらいの白人の中でアジア人一人。超居心地が悪くて浮いてて辛い。最初にファシリがなぜこの分科会に来たかという理由を参加者からピックアップする際に、ここぞとばかり挙手して日本から来ていて日本では自分は特権を持っている立場なのでどうやって人種差別に取り組めるか知りたいので来ていますと説明できたので、勝手に一安心。
最初、ファシリの一人が「親戚や親に人種差別者がいて困りますよね。」から導入がはじまってちょっとうけた。「この中に、自分の中の隠れた白人優位主義を見つけ出すのが楽しみで来た人はいますか?」というとシーンとする会場の後ろの席に一人だけ「はいはーい」と手を挙げるおばちゃんがいてみんなが笑った。無垢なおばあちゃんの参加者が「私はいい人よ、みんなのこと愛してるもの。それなのに、私にも差別心があるのでしょうか?」ファシリ「そうなんです、いい人なのに白人優位主義はあなたの中に確実にあるのです。それを今日は考えていきましょう。」他の参加者からは「このWSに来たくなかった。自分はいい人でいたいし、差別心を持っていることを認めるのは怖い。」するとファシリが「来てくれてありがとう、とても重要なことを言ってくれました。みんなそこからスタートするので大丈夫。」
最初のワークは「5歳児にどうやって人種と人種差別を説明するか」で隣に座っていた白人トランスぽい人が声をかけてくれてペアで話し合った。アメリカでも人種問題の授業は特別にあるわけではなく、歴史として学ぶだけで、今の問題として話し合う機会は学校ではなかったと言っていた。全体の分かち合いでは、それぞれのペアで話したことを有志が挙手で紹介して、いろんな説明の仕方があっておもしろかった。「昔昔、白人が自分たちが一番優れているって言いふらしはじめて、そうしたら他の人種の人もそれを信じ始めてしまい、白人が都合がいいように世界を変えてしまったんだけど、白人が一番優れているというのは嘘ですよ。」「いろんな人種がいて、白い人から黒い人まで住んでいる地域や日の当たり方でいろいろなんだけど、白い人はたくさん飴をもらえるのに、黒い人やその他の人は飴がもらえないということ。」「昔、白人が世界中に出ていって各国の人をいじめまわって、自分たちが一番だと言ってまわったから、飴を独り占めしてもいいことになってしまった。」などなど。参加者からは「有色人種の子はすでに5歳で人種差別を体験して気づいているから説明しなくてもいいだろうが、白人の子は気づいていないので説明の仕方に気を付ける必要がある」など。
次は「人種差別」「白人特権」「白人至上主義」という言葉の定義について話し合うワーク。女性ふたりとグループになり、一人は日本に住んだことがあると話してくれた。「知らないこと、馴染みがないことって、容易に悪い風に言うことができるから、それが人種差別の根本じゃないか」などなど。その後、みんなで辞書で定義を確認。
次は「ペアになってからお題を伝えます」という含みがあったので、これは白人同士の方がよさそうだなと感じて、後ろの席に退場した。が、親切にも二人の白人女性がペアになっているところに一緒に話しませんかと呼んでくれたのでお言葉に甘えて参加した。お題は「いつ人種差別があることに気づいたか」でグループでの話し合いでは「子供の頃、有色人種の友達を家に連れて行ったら、祖父が人種差別発言をして母親と自分はぎょっとしたが、幸い当人には聞こえてなかったので良かった。」「白人ばかりの田舎で育ち、人種差別的発想が当たり前だと思って生きてきたが、50歳ぐらいになってそれは間違っているのだと気づき、こうしたWSに参加するようになった。」などなど。
次のお題は「いつ白人の方が他の人種よりも優れていると思ったか」という核心に迫る内容。「小学校などでスカラシップを取るのがいつも白人、たまにアジア人だったので、子供心に黒人やラテン系は勉強に関心がないんだろうと思っていた。がのちにそれが学校システムが白人用にできているからだと気づいた。」「父親が特定の地域に住んでいる有色人種の人たちのことを悪く言うのでそのまま鵜呑みにしていたが、母親が違う意見だったので誰かの主張も疑ってみないとと思うようになった。」「歴史の授業で歴代の大統領がすべて白人だったので、白人はリーダーシップがあって優れていると思っていたが、母親にそれを言うと黒人が大統領になるのは許されてなかっただけと言われて気が付いた。」などなど。
ここで最初の「5歳の子供にどう説明するか」の重要性があらわになってきた。ファシリの一人が言っていたのは、白人は子供の時に大人から人種については語ってはいけないことだと学び、「語らないこと」が白人の中で伝統的に受け継がれていくと指摘。
白人が無自覚にやっている白人至上主義に基づいた行動41項目が書かれた紙が配られて、自分とどれだけ関連しているか時間を設けてしばらく個人作業。その後、全体での分かち合いで個人が体験を話した。人種差別者の親戚をたくさん持つファシリの一人ががクリスマスなどの親戚の集まりには黒人人権運動のTシャツを着て行き、対話を開くきっかけにすると言っていたのが印象的。リストの中に関連して参加者からいろいろな体験が語られた。「思い返せば今まで自分が出会ってきた学校の先生はすべて白人で有色人種の先生に教わった経験がない。」白人が競争主義というのを受けて「有色人種の一番のアライになろうと他の白人よりも優位に立とうとする白人がいてイラっとする。そういう人は人種差別の問題を利用して自分が主役になりたいだけ。本来のアライとしての役割をわかっていない。」
またTEDトークで人種差別への取り組みを説いている7分のプレゼンを見て、いつも偏見や特権に敏感であるためには、日々のチェックが必要で完璧になるのは無理だけど、ましにしようという努力は続けていけるというポイントだったと思う。ファシリが「私もいつも自分のことを点検しています。ひとつ偏見を捨てても、また別の偏見を拾ってきてしまう。それは終わることのない作業。でもやり続けるしかないのです。」
17時から30分全体でのまとめのためまた大会場へ集合。グループに分かれてWSを通じて学んだことで「やめること」「始めること」「続けること」は何かをシェア。「聞くこと、質問することをもっと重視するようにしたい。」「発言の前に少し間を置いて自分の考えを客観的に見たり、他の人が発言できる余地を持つようにしたい」「女性なので、夜道で人に会うと警戒することがあるが、それが人種によってなのか、他の属性によってなのか、恐れがどこから来るのかを確認するようにしたい。」(有色人種は犯罪者という刷り込みがあるので。)などが出ていた。
それを全体でも10人の挙手を募り共有。「WSで仲間ができて勇気と繋がりで元気になれた。」「私は有色人種であるだけで、十分私として存在できている。」「たくさん刺激的な体験をできてこれを地元に持って帰って実践したい。」「私の黒い肌は美しいということ、それをしっかり確認できた。私たちは美しい。」などなど。ファシリからこのWSで多くの人が新たな学びをし、コミュニティでの実践の足掛かりを得られたはずなので、引き続き個々人でやっていってほしいと激励。また別のファシリからはセルフケアをして帰宅してほしいと、瞑想のWSやリラックスできる部屋の紹介などがあった。
今まで思ってても言ってはいけない人種差別がトランプの出現であからさまな問題になっているけども、やっぱり差別者というレッテルを貼られることは不名誉極まりない北米社会で、自分の中に差別心や白人優位感情があることを人前で認めて話し合うことはものすごく大変なことなのかもしれないと想像する。そういう意味で、このWSは参加者たちに大きな負荷を与えると同時に、変化をもたらすのかもしれない。
白人が白人特権という名前をつけ、その現象を認識していることを考えると、日本の日本人特権についての認識の低さにため息がでるが、今日のワークは白人の罪悪感を増大させることなく具体的な取り組みに着地させることができていて、日本でWSするとしたらこういう手法が有効そうなのでとても参考になった。