intersectionalityという考え方は新しいものではない。ソジャーナ=トゥルースは、現在「私は女ではないの?」として知られる1851年の演説のなかで、女性であること、黒人であること、奴隷であったことのintersectionsについて述べている。<4> 1960―70年代、黒人女性やメキシコ系女性は自分たちの生活のintersectionalityについて明確に語り、人種と性別を相互排他的なカテゴリーとしてとらえていた主に中産階級の白人女性たちによる運動から非白人女性としての経験が無視・軽視されたり消去されたりしているなか、黒人フェミニストやメキシコ系フェミニストの運動を形作っていった。彼女たちの生きられた経験lived experienceのなかでは、非白人people of colorとしての、女性としての、そして非白人女性としての抑圧のからみあいを解くことは出来なかった。<5> intersectionalityという用語が活字になったのは、キンバリー=クレンショーが差別禁止法、フェミニスト理論、人種差別に反対する政治への単一軸によるアプローチから好ましくない影響があると、法律ジャーナルに記したことが最初である。<6> 以来intersectionalityは、歴史、美術・建築史、人類学、地理学、社会学、心理学、法学などの分野で重要な概念となった。<7>
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トゥルースは1851年5月29日、オハイオ州アクロンのノースハイストリートとパーキンスストリートの角にあるオールドストーン教会で開かれた女性会議で演説した。その時の演説がいくつかのバージョンで残っている。「私は女ではないの?」という言葉が入った、フランセス=デイナ=バーカー=ゲイジの記憶をもとにして出版されたものもいくつかある。もっとも古い出版されたバージョンはマリウス=ロビンソンの記憶によるものだが、そこにはこの文言は登場しない。See Corona Brazina, Sojourner Truth’s “Ain’t I a woman?” Speech: A Primary Source Investigation (New York: RosenCentral Primary Source, 2005); Kay Siebler, “Teaching the Politics of Sojourner Truth's "Ain't I a Woman?'" Pedagogy 10, no. 3 (Fall 2010): 511-533.
placesの意味もさまざまなLGBTQコミュニティによって異なる。例えば、女性オンリーの空間として1976年に創設されたMichigan Womyn's Music Festivalは女性の土地、女性の音楽、女性によるコミュニティーベースの組織の歴史上、重要なイベントだった。しかし、この音楽祭には同時に、トランス女性を排除した歴史がある。<9> これがきっかけとなり、音楽祭敷地のすぐ外に1991年、トランスジェンダー女性とアライによってCamp Transという抗議のキャンプ地が開設された。Michigan Womyn's Music Festivalはコミュニティによってその意味するものが違ってくる。ここでインクルージョンと可視化が行われた場所を経験する一方、抑圧と排除の経験をした者もいる。<10>