LGBTQ洋書読書会とか

元々は「リバティおおさかを応援する!」というブログでしたが、引っ越ししまして、最近ではLGBTQの洋書読書会やその他の情報を掲載しています。

ワークショップご報告1

議題●こどもが夢を持てる展示とは?(1/2)

・橋本氏は差別や人権は暗いというがどういうイメージなら子どもが夢を持てるのだろう?
・どんな職業があるかなどは明るいし具体的でわかりやすいと感じた。
・子どもに夢を与えるのは明るいプラスのことばっかり与えることだけじゃないし、暗い部分も必要なんじゃないかと思う。
・在日やハンセン病などの展示が半分になって、見た感じ明るくなったり、体験できるコーナーが増えたかもしれないけど、人権博物館なのにそういう部分がなくなってしまったのは悲しいというか寂しいというか。
・持論だが、高いハードルを超えられる子どもは、そのハードルを高いと感じてないようだ。逆に、高くもないハードルを高いと感じて足がすくんで越えられないという子どももたくさんいる。目の前のハードルは高くないですよ、と教えて示すのが大人の役割だと思う。どうも高いと脅して高いのを超えさせるのがいいことやと勘違いしている人が多い。その象徴的な人が橋本氏だと思う。夢ということで言うなら、ハードルを低く感じさせるのが大事。夢が高いハードルに感じたり超えるべきものとして感じるのなら夢として機能していないのではないか。生まれたことの喜び、人生の楽しさを知っている子は、ハードルを低く感じる。生まれたよかったな、人生って楽しいなと思わせる、そこが原点だと思う。それでどうしたらいいねんんとなると、すっごく単純に言えば子どもをかわいがりましょうというところに行き着く。それ以外ない。抱っこする。社会全体で子どもを抱っこする、それが常識になること。学校がどうとか先生がとうどかじゃなくて、社会全体が子どもを抱っこできる関係になること。
・学校でやっている人権研究会とは、こんなこと言ったら差別になるとか、こういうことでクレームになるとか、そういうことをやっている。タブー。それちょっと違うと思う。
・人権って考えたときに、どこまで自分の身の回りのことになるか。自分は奇麗にしてるが部屋が汚いとか、部屋は綺麗だけど、一歩外に出たら汚いとか、自分の街は綺麗だけど、隣の街は汚れてるとか、自分を取り巻く環境をどこまで意識できるか。地球規模で考えられるようになったらいい。それで言うと人権問題って、自分をどこまで認識していけるかっていうこと。自分の隣にいる他人はどうなのか、家族はどうなのか。自分がかわいいっていうところがスタートなんかなって。自分がかわいいと思えないと他人を大事にできない。自分がかわいいと思える人は、人からかわいがられた経験がある人。リバティの未来をどうしていくかっていう原点は、子どもたちをかわいがるってところからスタートしたい。
・人権は暗いと言われるけれど違う。暗いからこそ明るい。暗いことを暗いっぱなしにしておくから暗い。明るくしていくのが人権。差別があっても対抗してきた歴史があるということ。差別をどうやって乗り越えてきたかを知ることは大事。それが結局ハードルを低く感じさせてあげることなのではないか。
・暗いから明るいにつながるが、HIVの展示などで亡くなるかどうかという大変な状況で絵をかいていたという生きる力強さというか、暗いといいながら結局人々に力を与えることになるし、セクシュアルマイノリティの部分も撤去されたけど、いろんな人たちが生きているというアピール自体で明るいというか、子どもたちが未来を明るく感じてくれることにつながれるのではと思う。
・わざわざ暗いことを明るくみせたりする必要はなく、客観的事実を知らせることが大事だと思うが、こんな事実がありましたというのが、だからこんなことしたらあかん、という話にしかなってない。こんな事実があるからこんなことしよう、という風にならない。それが重たいまま終わる印象になっているのではないか。暗いと言われる理由はそこなのではないか。なんかしようぜ!という話にまで行ってない。こういうことがあるから、こうしよう、という風に前向きになれない。
・自分に何ができるかっていう話をほとんどしてない。どこが何をすべきかっていう話はする。行政のどこの組織がこうせなあかんとか責任があるとかいう話はするけど、私に、何ができるのって話にならないから、逆に前向きになれない。ちっさくても、俺に何ができるねん、私に何ができるのということを考えると、実は元気になれる、前向きになれる。