LGBTQ洋書読書会とか

新設Cチーム企画主催者が、元々は「リバティおおさかを応援する!」というブログでやってましたが、引っ越ししまして、最近ではLGBTQの洋書読書会やその他の情報をごった煮状態で掲載していますv

ジェシカ・リンさん公開授業@府大

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府大でジェシカ・リンさんのお話を聞いてきたのでその要約をご紹介したいと思います。あまりにドラマチックで圧倒されてたらやっぱり、映画になるんだとか!サンドラ・ブロック主演。こちらリンさんの公式サイト。

www.jessicalynn.website

1965年生まれのリンさんは、5人兄弟の真ん中で、2、3歳の頃には男という性別に違和感を持っていた。敬虔なクリスチャンの母が言うには神様は何でも叶えてくれるというので、4、5歳の頃は毎晩女の子にしてくださいと泣きながら祈る日々だった。他のことに没頭することで女の子になりたいという気持ちを紛らわせていた。切手、コイン、虫など収集行動に没頭。青虫がさなぎになり蝶に孵る姿を見て、いつか自分も女の子になれると願うが一向にその気配がなく、神様に女の子になりたいという気持ちを消してくれとお願いする日々だった。7歳の頃、男女の性器の違いを知り、かみそりでペニスを切り落とそうとするが、怖くて断念。
収集することで紛らわせていたコーピング行動は、今度は動物の世話をすることや、次は絵を描くことに。12歳の頃には一日中自然の中で風景がを書くことに没頭し、腕を上げ、知人の家の壁などにも絵を描くほどになっていた。(11歳ぐらいの作品の写真をみせてくれたけど超絶上手い!)

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その後、男子だけするサッカーはしたくないと思っていたが、兄がするので参加してみると、没頭するのにうってつけだった。来る日も来る日もサッカーに没頭し、ナショナルユースリーグ(18歳選手が多いところに15歳で合格)全米2位のチームで活躍するまでに。それでもまだ、女の子になりたいという気持ちは消えず、サッカーをしながらもお酒に手を出す。
思春期に入り、2歳下の15歳の女の子と意気投合し付き合うことになるが、セックスの際、彼女の立場になることを考えるためなかなかうまくいかない。正直に女の子になりたいことを打ち明けると一旦は拒否されるが、やはりリンのことが好きということで、交際は続いた。彼女と付き合って行けばいつか、女性になりたいという気持ちはなくなっていくかもしれないという希望を持ちつつ、最愛の人であることはお互いにゆるぎなかったので20歳で結婚。しかし、ふたりで散歩中、時速100キロで突っ込んできた車に引かれ、彼女は他界、本人も大怪我を負った。彼女が亡くなってから2年間はお酒とコカインにおぼれた。
23歳の頃、そんな本人を見かねて母親が声をかけた。お酒におぼれているのは、彼女を亡くしたこと以外に、女性になりたいからじゃないかと母は言った。両親は3歳ごろからそれを知っていたのだと。リンはなぜその頃から知っていたのに何もしてくれなかったのかと激怒!こんな辛い人生を歩まなくてすんだのに!実は両親は、リンを女の子として暮らさせるために、知らない地域に引っ越す計画までしていた。しかし4歳ごろに、ジョン・マネー氏のところにリンを連れて行き相談したところ、育て方で男にすることができる、スポーツなどをさせるようにと言われたのだった。(ジョン・マネー氏は、性別は育て方で買えられると主張していた人物で、トランスコミュニティから総スカンを食らっている人。ペニスを事故で無くした男児を女性として育てることをすすめ、その後男児は31歳で自死。)
23歳、これから女性に移行していくための資金をためようと大工の仕事などをはじめた。その時に仕事で知り合った女性と馬が合い、遊ぶようになるとさっそく女性になる計画を話すとすんなりと受け入れてくれて、サポートすると言ってくれた。しかし、彼女は男女の身体があるのだからと、セックスはたまにしようと言ってきて、ヤリ友のような関係になった。そして妊娠出産。子どもに父がいないのは不憫に思い、結婚して彼女と子供を養うために猛烈に働く日々がはじまった。そして次男が誕生。家庭内の不和により、別居になるが養育費を毎月請求額の二倍(13万)は払い続け、一日置きに子供に会うという良い父親で居続けた。別居しばらくしてから、ふたりの仲は改善された矢先にまた妊娠、三男誕生。一緒に暮らすことにして家を買うが、途端に妻がフルタイムの学生になってしまい、またがむしゃらに働き稼ぐ日々。そんな中また妻が不満を言い、三男を連れて別居。親権の裁判を起こされる。子ども達を引き離すことが耐えがたく感じて裁判を戦い、子ども全員の親権を勝ち取った。トランス女性としてはかなりレアなケースだが、周囲がリンは素晴らしい親であることを主張したため良い結果となった。その後、寄りを戻したいと妻が戻ってくる。が、再び妻が三男を連れて別居。今度は親権を奪い返す裁判を起こされる。この時、テキサス州に引っ越していたため、前回の裁判結果は引き継がれなかった。そして超超超保守、アンチトランスのテキサス州で、信じられない判決がでた。子どもがいるのにトランスした親はあまりに自分勝手すぎるので、子どもに二度と会うことを許さない。電話はいいが、自分が女性になったことを子供に言ったら、刑務所行きというものだった。(ちなみに妻は、親権奪還の訴えの中で、リンが女性になりたいなんて全く知らなかった、と虚言している。)(ちなみに、同じ時期にでている別の判決では、レイプ犯(レイプによって妊娠させた)でも自分の子どもに会う権利が保障されているという、テキサス!)あまりに酷い判決に打ちひしがれている中、一番支援してくれていた弟が自殺で他界。悲しみの底で葬式や遺族のことなどを世話をしてやっと自分の裁判に戻ろうとしたら判決から23日目、21日以内に上告しなければならなかったと知る。全米のあらゆる法律家に助けを求めるも、何ら手段がないということだった。三男が成人すれば、会うことはできるが、母親が名前も変えて住所もわからなくしているので、連絡の手段がなくなってしまった状態だ。(ちなみに、この裁判でかかった費用がとんでもなくもうたぶん1000万ぐらいかかってるっぽい。)

2010年から、上の子どもふたりは成人しているので、性別移行することを伝えると抵抗なく支援的なコメントをくれて、今も良好な親子関係とのこと。念願の性別適合手術も受けてホルモン注射もして、どんどん女性の外見になっていくのを楽しんでいて、満足しているとのこと。
全米でも、イェール、スタンフォードケンブリッジ大学などロースクールでも講演活動をしてトランスジェンダーの権利を啓発しているが、この親権のことについては、州法によるので法律を変えない限りどうにもならない、というところに行きつくのだとか。それでも、世界各地を飛び回って、トランスの問題について共に考えようと呼びかける、諦めない姿にはとっても勇気をもらった!!

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あと、リンさんと一緒にペギーさんという方も来ていて、その人はインターセックス(クラインフェルター症候群)の方で、トランスの活動をサポートしているということでした。リンさんはブティックを経営していて、そこを訪れたペギーさんは、サイズ的にいつも合うものがないと言うと、20着ぐらいペギーさんのためにええ感じのを用意してくれたという気のききっぷり。そこから意気投合して仲良しなのだとか。

ペギーさんはクラインフェルターで生まれ、肥大したクリトリス、膣がない状態だったので、医者が男性として育てた方がいいと両親に言い、4歳までに4回もの手術を受けてペニス形成をされたそう。思春期になると胸が出て来て生理が来て、膣がないので血尿が出たため病院へ。かなりの量の男性ホルモン注射を受けることになったが、当時はそれが何なのかも知らされていなかった。気に入っていた丸い細い体の感じがなくなっていき、筋肉が増え角ばっていく体が嫌で悲しかった。それでも自分が何なのかよくわからないまま15年もの間、男性ホルモン注射を続けさせられた。女性っぽいことを両親に非難されたり、連れて行かれた病院ではホモセクシュアルではないかと言われ、当時1950-60年代主流だったコンバージョンセラピーで電気ショック療法を受けさせられりと、救いのない状況だったため、自分の身を守ろうと、本当の自分の気持ちを封印し口をつぐむことを覚えた。ベトナム戦争での徴兵制では、軍の検査で来なくてよいと言われて戦場には行かなくてすんだ。その後、大学でエンジニアリングを専攻して空軍に就職44年務めあげる。3人の子どもを持つ女性と結婚して子育てをして家族が支えとなるが、子どもが巣立つと空虚感から鬱のようになった。その後女性へと性別移行をすると決めた際に、母親に告げると「今まで黙っていてごめんなさい」と自分がインターセックスであること、何度も性器の手術を受けていたこと、注射は男性ホルモンだったことなどを明かされた。
印象的だったのは、性別移行したら10年は若返った気がすると清々しくおっしゃっていたこと。今70歳の彼女はとても健康的で若々しく見えた。本来の自分として生きること、それが体を健康にしてくれるよね、と言っていた。