LGBTQ洋書読書会とか

新設Cチーム企画主催者が、元々は「リバティおおさかを応援する!」というブログでやってましたが、引っ越ししまして、最近ではLGBTQの洋書読書会やその他の情報をごった煮状態で掲載していますv

WS報告「二元性を超えた交差性」

1/19(木)も一日かかりのワークショップで、下記の21テーマの中から選ぶ。21個、、、気になるテーマ2つに絞り時間をみながら両方参加した。

 

●黒人分科会:次は何?LGBTQ/SGLの人たちにとってのポストオバマ政権(SGL=Same gender lover)
●大学内のLGBTQリソースセンター専門家分科会
クィアAPIムーブメント作り(API=アジア人、太平洋諸島の人)
●ラテン系コミュニティにおけるLGBTQ運動
HIV/AIDSと感情的健康
●欲望読解分科会
●デジタル戦略分科会
●マジョリティとしての信仰者支援
●LGBTQコミュニティにおけるアルコール、薬物の危害の減少(ハーム・リダクション)調査
●白人のための分科会:人種差別を終わらせるために
●交差するトランス:真に包括的なトランス/GNC運動を作る(GNC=Gender Non-Conforming)
●私たちは家族!
●老化問題、社会運動とLGBT運動
●繁栄:エリック・ローフの遺産:セックスと健康、政治と革命に焦点を当てたクイア運動の変革
●若者分科会:若者を中心にしたプログラム組
●二元性を超えた交差性
●大学内のプライドパレード学生リーダーの分科会
●警察の暴力とLGBTQとコミュニティ
●アライ分科会
●勇敢な空間:オーランド事件後のクィアで安全な若者のスペース
●代表者、取締役の分科会:世界が右傾化している時にどう自分たちのままでいられるようにやりくりするか


二元性を超えた交差性
1/19(木)9:00am-6:00pm

【プログラムから概要の訳】
この一日がかりの分科会は、単一のセクシュアリティではない人、単一の恋愛主義アイデンティティでない人(バイ、パンセクシュアル、流動的な人、クィア、オムニ、その他のラベル、まだラベルがついてない人も含め)のための閉じられたセッションです。バイ+コミュニティ内の多様性と、運動内で可視化されていない葛藤を持つ人たちの物語に光を当てて行きます。活動家としての私たちの声は、人種差別、性差別、階級差別、トランスへの反感、バイへの反感、障害者差別、移民への反感、エイセクシュアル、エイロマンチックへの反感、などなど、交差性を反映しています。私たちの歴史を学び、自分たちの状況を位置づけることは、私たち自身を理解し、可視性と包括性を創造するひとつの方法です。全ての単一のセクシュアリティではない人、単一の恋愛主義アイデンティティでない人、ようこそ!存在を認識され、自分の物語を聞いてもらい、勇気づけられ、美しくありましょう!
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当たり前なんだけれども、やっぱりこの手のワークショップは最初のガイドラインの作成からはじまるんだよね。第三人称を正しく使うとか、勝手に誰かのセクシュアリティを決めてかからないとか、人が話してる時は口を挟まないとか、WeじゃなくてIを主語にしてしゃべるとか、安全な場として機能するために何をして、しないべきかというのを話し合い、全員で合意していく。そして、用語解説。言葉の意味が違っているまま話が進むと誤解がどんどん膨らむので。どこでもしないとあかんことだけど時間がかかるし、どういうことか知っているのでちょっとスキップさせて頂きたい、ということで別の分科会に行きました。

戻ってきたら、バイセクシュアルではじめて大学で単元もらって話したという教授がバイのアメリカ史を1950年ごろから振り返って説明していた。1980初頭に初めてバイセクシュアルの国際会議が開かれた。ゲイレズのムーブメントが大きくなってから、バイだとカミングアウトするゲイレズが出てきて、相当叩かれたこと。エイズパニックでもバイHIVをばらまいているという言説がまかりとおり、その後もバイ差別、排除は続き1980から1990年代が全盛期だったようだ。2000年、ノンバイナリーという概念が初登場。この頃から、セクシュアリティは、誰かを固定化する名詞ではなく、その人を彩り、複数になり得る、時として変化する形容詞になってきた、と。自称が大事。Identityであって、Youdentityじゃない、と。2010年、メディアでのLGBTQの報道の仕方が変わってきた。教授は数十年でセクシュアリティを表す用語はどんどん増えて(パンとか、流動性の人とか)、数年前からは想像できないことがどんどん起きている。これからが楽しみ!とのこと。

参加者から「バイセクシュアルの歴史ばっかりで、パンとかポリーとかの歴史を期待して参加に来たのでなんか、排除された気分。」という発言。教授は「いろんな言葉や概念がたくさん出てきてますよね、最近。あのー、後で個別にお話ししましょうか?」で次の質問へ。これをしばらくしてからファシリが拾い直し「自分の質問にちゃんと答えてもらえてないのに、次の質問に行かれたら無視された気分になると思う。質問者の答えになるかわからないが、私の考えを述べたい。昔から多様な人が、その場にいつもいたはずだ。今までのレズゲイコミュニティにもパンもポリもいた。ただ、概念がないとか、名前がついてないとか、だからアイデンティティを持てないとか、政治戦略的に声をあげれないとかだった。バイセクシュアルの歴史を知ることは、それまで言葉がないし、政治的立場の判断的にもゲイレズに埋もれてきたバイセクシュアルが声をあげられるようになってきた経緯を知ること。それは今のパンやポリー、GNCの立場につなげて考えることができると思う。(なるほどねー)

しかし、その後もファシリたちが自分たちの体験を語ったり、参加者が発言したりしてたんだけど、でも話はどうもバイセクシュアルがどう可視化していくかというところばかり。。。やっぱりバイの分科会だなこれは、と気づく。うん、学べますけれども。私は、性指向(バイ、パン)、性自認(トランス、GNC)、性関係(エイロマンティック、ポリー)などこれまでの定義を超えて行く人たちがコミュニティでどう可視化していっているのかが知りたかったんだわ。だって、もうけっこうたくさんそういう人たち出てきてるじゃん。うーむ。別の分科会へ行くか。

そして若干気になったのは、ファシリてーたーのバイの人の語りの中の「バイって言ったら誰かれかまわず好きになるとか、何人も恋人がいるとか思われて嫌」という口ぶりには、どこかパンやポリーの人へ配慮が感じられなかったのが、残念。誰彼かまわず好きになるというのはパンでもないけれども、ポリーの立場をわかっていれば「何人も恋人がいると思われたくない=この場の人は皆モノガミーだよね」みたいな言い方しなくても、単に「私はバイでモノガミーなので」と言えばよかろうぜよ。

最後に印象的だったことは、ファシリがエイズパニックで私たちは歴史の断裂を経験していると言ったことだ。多くの人がエイズで亡くなった。本来たくさん受け継がれるはずの社会運動の遺産や個人の物語が、受け継がれずに消滅している。あの時代を振り返り、当時生きていた人を知り、その空白を埋める作業が必要だ。そうすることが、私たちの次の世代を豊かにしていくことだ。私たちのアイデンティティが帰属する場所、そのコミュニティをしっかりしたものにするためには、歴史の積み重ねが重要だ。とのこと。お昼ごはんは無料でピザが出た。

 

■ファシリの人が所属する団体のページ
SALGA NYC
http://www.salganyc.org/